入り身転換反射道の入り身

一体全体、「入り身」とはどう言った事を指すのだろうか?

「入り身」の理合とは?

多くの場合、「受けの中心に食い込む」とか、「相手の中に入る」と表現されてお教えを受ける場合が多いと思われる。

一体、本当にそのような事なのであろうか?私の考えでは、結果的に「相手の中心に食い込む」事になるのだが、能動的に相手に食い込んでいくと言うのとは少し違うと考える。

相手に自ら食い込んでいく動作と説明すると初心者にお教えする場合に、相手とぶつかってしまう動作の結果を生み、おかしな事になってしまう。

故田中万川師範は「受霊」と仰られ、「入り身転換反射道」を提唱された。

また、故植芝吉祥丸二代目道主も「座技呼吸法の時の受けては受けの方の有難い気を戴くのだから、手のひらを上にして有難いものを戴く形で両手をつかませる」と仰っておられます。

開祖植芝守平大先生も「相手の欲するところを与えよ」と仰られておられ、「入り身」=「相手の中に入っていく」ではなく、「相手を自分の中心に戴く」と言う事が正しいのではないのでしょうか?

つまり、受けとの接触の場合は、常に「受霊」で受けと「気合わせ、気結び、気納め(△○□)」の理合で合一和合する事が「入り身」であり、入るのではなく、相手を受け入れる事が入り身なのではないのかと考えております。つまり相手を自分の中に引き入れて一体となる。

また、「転換」と言う言葉も単に「回転」を意味するのではなく、「体の変更」ともいわれるように「変更」、つまり「変換」の意であると考えます。

つまり「入り身」で受け入れた相手の気の流れを、自らを中心とした「気の流れ」に変換する事が肝要であり、それは「反射」に通じます。

「入り身転換反射道」の中心を占める理合は、「相手の気を受霊で受け入れ、戴き、自らの気の流れに変換して有難く返して差し上げる」と言う事だとして指導させて頂いております。

まだまだ、至らない考えではありますが、「入り身転換反射道」の道をもっと究めて参りたいと思います。

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