合気道 における理合いと合理性
合気道 における理合と合理性
合気道 における大事な要素である理合いと言う字は合理の反対語です。反対語と言っても通常の「明るい」に対する「暗い」とか言うものではなくて単に漢字の並びが逆転しているけれどもどちらも意味が通じるものです。
理合いと合理は、その様な意味においてよく出来ていると思います。 合気道 において理合い通りに技を行えば合理的な動作になる。
随分以前に門川師範から、「 合気道 は合理的な武道です。」とお教え頂きました。日本の武道、特に 合気道 は本当に合理的に出来ていると思います。
ここで「合理的」とは二通りの意味が有ります。一つは「理にかなった」と言う意味で、論理的に筋道が通っていたり、理屈通りである事です。
もう一方の意味は、「無駄なく効率的な事」を言います。 合気道 はどちらの意味においても「合理的な武道」であると思います。
かつて私は、ビギナーには合気剣や合気杖は教えないと豪語していた時代が有りました。最近はビギナーからお教えすべきだと考えております。その理由が 合気道 が合理的だからです。徒手技を10年やって合気杖を10年やって合気剣を10年となるとその全てを学ぶまでに多分戦国の時代ならばとっくに命が有りません。
徒手技を学べば合気杖に通じ、合気杖や徒手技を学べば合気剣に通じるようでなければ合理的では有りません。合理的であるためには其処に流れる理合いに同じがなければ簡単に徒手、剣、杖が一度に習得できません。
剣の理合いで行う徒手技、杖技が存在する理由です。
杖回しで手首を使っての八の字の動作、このときの小手や腕、肘の使い方は、剣の抜刀や徒手技の動作に通じます。よく徒手での正面打ちを受けてはならないといわれます。これは動作として受けない事も当然ですが、手のひらで相手の腕を迎えに行く動作を戒めています。相手が短刀や剣を持っていたとき、あるいは底の割れたビール瓶等であっても手の平を見せて迎え撃てば手首の動脈と言う最弱点を敵にさらしている事になります。この事も門川師範からお教え頂きました。曰く、内側の弱いところを晒しての技は成立しない。
昔の甲冑には手の甲に手甲を装備していました。つまり手の甲から迎え撃つ。この動作は剣の抜刀動作や杖回しの手首の動作と合い通じます。
初心者には体捌きが最初の関門ですが、相半身交差持ち一教での体捌きは抜刀する柄を押さえに来た受けに対してくの字に捌いてぶつからずに抜刀する理合いと足捌き、手捌き等ほぼ同じである。実際、大東流で言う「合気」とは、この動作で相手にぶつからず押さえに来た受けの手に結びを入れることから生じたと伝承されているとも聞きます。
また、この動作は取りが短刀を逆手持ちにもって受けの腹を切り裂きつつその手を交差もちに押さえられ、体捌きの返す刀で首を掻き切りに行く動作とも足捌き、手捌きとも同様である。
武道の理合いには同じと違いが必ず有り、同じを見つけると合理的な技の習得をたやすくする。是非色々な側面から武器技にも接して徒手技の上達の糧としたいものです。
相半身交差持ち一教、正面打ち一教押え込み、いずれの技も
「敵人の走り来たりて打つ時は、一足よけてすぐに斬るべし」
の理合いです。