生活の中で活きる理合(20141119)

最近は合気道の理合について考えたり、指導時に説明したりする機会が大変多くなっております。

理合について考えれば考えるほど大先生のお教えの深遠さに驚かされ、どこまで行っても追いつけない自分のふがいなさに気付かされます。

一歩でも二歩でも大先生に近づこう、その前に門川師範やその師匠の故田中万川師範に近づければと焦るばかりの今日この頃です。

魄の修行と共に魂の修行をしなくてはならないのが合気道の大きな特色なのですが、未だ「平常心」を保つ事すら儘ならない状況です。

稽古の上や合気道の技の中ではある程度出来たとしても普段の生活で実践出来るかどうか・・・・

普段の生活の中に合気道と共にあってこそ平素の修行の成果かと考えるのですが、これが非常に難しい。

技の中では力まない動きができても会社での仕事では力んでしまって感情が表に出る様ではいけません。

道場での修行は欠かせないものですが、普段の生活の中での修練こそ本当の意味で大先生の仰った「天の浮き橋に立つ」と言う事の実践なのだろうと思います。ただ、その実践は私にとっては非常に難しく、毎日が修行の連続です。

この修行を続けて行く事自身が自己の人生を豊かにする道かもしれません。

死の床につくまでが修行と頑張ってみます。

急逝された高倉健さんは、今年亡くなりました母と同じ年です。銀幕やテレビの映像から垣間見る氏の背中にはその様な人生の修行を続けた先達としての厳しい修行者の香りがする様な気がします。氏のご冥福をお祈りします。(合唱)

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