稽古法(20150318)
昨日は「なぜ今、理合なのか」と言うテーマで武ログ記事を書かせて頂きましたが、本日は合気道「眞武館」道場でのその稽古方法について、もう少し詳細にご紹介したいと思います。
合気道は、海外では「動く禅」とか「ハーモニー オブ スピリッツ」と表現されるように、そのメンタルな面に関心がもたれているようです。
大先生も「スポーツは魂魄のうち魄を鍛えるには良いが、合気道は魂魄共に鍛える。」と仰っておられます。
このサイトでも私は「理合」と「基本動作」の稽古と言う具合に並列で書いてはおりますが、眞武館の稽古では「基本動作」の稽古の中でも「理合」の習得は必須だとしており、「基本動作」の稽古では、そのテクニック的な面の方法論、つまり「魄」の鍛錬と、なぜそのような動作を行い、何を探求しなければならないのかと言う「理合」の探求の部分、つまり「魂」の鍛錬の部分があるとしております。
では、その「理合」の中心は何なんだと言えば、「合気道」そのものを表すと大先生が仰った「正勝吾勝勝速日」の探求だと考えております。
「正勝吾勝勝速日」の詳細の説明については、「合気道信念」のページの「正勝吾勝勝速日」のページに譲りますが、一言で言えばどのような場面でも揺るぎの無い「平常心」の探求だとして指導しております。
徒に争わず、相手とぶつからない言動を行うための技の修行の中に魂魄両方の修行があり、理合を実現するために方法として基本動作による技を体現し、その心には合気道本来の理合を深く刻み込む。
これが合気道「眞武館」の稽古法です。
平常心の表れが脱力して自然体に立つ姿であり、磐石な立ち姿を得るために脱力した平常心が必須であると言う魂魄両面の体現であり、心は身体を映し、身体は心を映し出すのです。
そこには相手を倒そうとかうまく技をなそうとかと言った我欲を捨てる世界があります。天の浮き橋に立って人類救済を願う労りと感謝の気持ちで稽古に臨む精神が必要となります。
自然体に立つ磐石な立ち姿や歩みは魂の研鑽から始めなくてはならないのだと考えます。
理合とは何か、稽古とは何か、日々の合気道の稽古を通して深く考える必要があると思います。
稽古とは「古の教えを省みる」事であり合気道の稽古においては「開祖大先生や田中万川先生の目指した合気道を、後進の我々も同じく探求する事」だと言うのが合気道「眞武館」の今時点の稽古法です。
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