自然体のコミュニケーション能力

世の中には実力も無いのに上から目線でお話しされる手合いの方が多く見受けられる。

たとえ実力や立場的にも上から目線で話しても良いステータスの方であったとしても、矢張り腰の低い、あたりの柔らかな方のほうが人気を博すのではないでしょうか。

上から目線で話される方は、大抵の場合自分は正しいと思い込んでおられる方が多く、話しをするときは必ず正論を「これでどうだ」とばかりに投げかけてこられる。

正論を大上段にかざして論破しようとする事も、上から目線で話す事も実はコミュニケーション能力としては余り芳しい事ではないと思う。また、その姿勢には他から学ぶと言う姿勢は一切感じられない。他から学ぶ物を「宝物」と言うのではないでしょうか?

正論を大上段にかざす事は論争の相手や説得しようとする相手を狭いコーナーに追い込んでしまう。つまり逃げ道が無く会話を楽しむ余裕も無く、しぶしぶ納得するしかない状態に追い込むと言う事です。そこでは、しぶしぶ同意しただけで、本当の意味での納得は得られていない状況を産んでいるのです。これでは同意はしても不満は残ります。人間関係の構築なんて夢の夢となります。

正論をかざす場合は、論議の最終兵器なのだから相手に恐怖感や嫌悪感を与えない様に気配りし、正論を納得して頂くように導く事に勤しむ必要があります。コミュニケーションにおける合気道、「正勝吾勝勝速日」です。

正論は絶対不敗の心理なのであり、述べる前に勝っているのであるから、相手を窮地に追い込むのではなく、納得させる事に励むべきである。押し付けるのでは無く導く事が肝要でコミュニケーションにおいてぶつからずに和合する合気道そのものなのです。

また、導くことばかりに拘らず、相手の言い分を聞きとった上で、理解する努力も必要です。相手の攻撃を一旦頂いて腹に収める合気道の基本そのものの理合いがそこにもあると思います。

正論を腹の中に抱きながらも、上から目線で語らず、一緒に学ぶ姿勢で相手の言い分を見極めて正論に導くような会話能力を身につける必要があります。

上から目線の方々を反面教師として合気道家として自身がそのような物腰の柔らかい説得力のある自然体のコミュニケーション能力を身につけたいと思う今日この頃です。