合気抜刀術

なぜ今合気抜刀術なのか?

私の師匠(合気道至誠館道場の門川師範)からのお教えでは、「合気道の剣、つまり合気剣は一刀法であり、音無しの剣である。」と言う事である。

そもそもこの一刀法、音無しの剣は開祖の最も得意とする体捌きを持って成す神業でもあった。

合気道の技の徒手技も同じく一刀法であり音無しの剣の理であるべきである。

この剣の理合いは、居合道や抜刀道と相通じるところがある。武道とは不思議なもので必ず「同じ」がある。また、同じと言えば合気道は相対した時には既に勝っている「正勝吾勝勝速日」であり、居合の戦わずして勝つ「鞘のうち」の教えと相通じる。

その同じを探求し、剣をもっての礼法・作法も身につける。これが今、合気抜刀術を鍛錬する理由である。

ただし、居合や抜刀道ではなくあくまで合気道の理合いによるものでなければ合気剣ではない。合気の理合いで成す抜刀術、これが合気抜刀術であり、眞武館流と冠して眞武館流合気抜刀術として我が道場の礼法・作法の規範であり、重要な剣の理合いを学ぶ糧としたものである。

本文章は「信念」のページに掲載しました。









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