生きるか死ぬか(20140213)
合気道には試合がありません。
門川師範から常々
「合気道は武道であり、人の殺し方を修練しているのです。だからこそ、相手をいたわり怪我の無い様にお互い「お願いします」と言う挨拶で稽古を始めるのです。人を活かす為に殺し方を学んでいるのです。」
とお教えいただいている。
また、試合が無いのは「試合は殺しあい(試合)に通じ、武道では競技スポーツと異なり、今日負けても明日は勝つということはありえず、今日負ければ死ぬのです。だから試合はなく、徒に競い合わない教えがあるのです。」と理解している。
いま、その教えと対極にある競技スポーツの大イベント、オリンピックの真っ最中である。
競技スポーツには競技スポーツなりのよさがあることがオリンピックを通じて教えられる事も多いが、試合の無い合気道について自分なりの考えを見つめなおす良い機会でもある。
合気道「眞武館」では「正勝吾勝勝速日」の教えを中心に平素の生活でも「平常心」を保つ事のできる修行の場として「力まず、競わず、リラックスした合気道」を目指して指導させていただいている。
また、「万事備えの心」を大切にした「見切り」の習得に勤しんでいる。
こう言った点でも競技スポーツとも共通した点も中にはあるが、やはり試合の時期や結果を意識せず自分のペースで長い時間をかけて習得していく人生指標となる「道」の修行として合気道は何よりも適した武道であると思える。
他と争わない心を育む「武道」と競技スポーツはやはり中には相容れない面があって当然かもしれないと感じるオリンピック開催中の今日この頃である。
ただ、日本を代表してかの地で頑張っている皆さんは勿論の事、自国の誇りをかけて戦われている他国の多くの選手団の方々も怪我の無い様に精一杯頑張っていただき、世界の多くの方に感動を与えていただける事をありがたく想い、応援したく思います。
スポーツの祭典が変に屈折したナショナリズムを育むのではなく、他国のナショナリズムをお互いに認め合い真の意味での共存の世界を作る一助となるように祈念します。
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はい、もちろん、愉しみながらやっております。
今井さん>まあ、普段の稽古では生きるか死ぬかとまでは考えておりませんが、真剣な中にも楽しく稽古を行う事も大切だと考えております。
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自分も師匠から『斬るか斬られるか』という緊張感を持って稽古するよう指導されますが、まさに江見先生の仰る通りですね(^^)
豊田さん>深すぎて、合気道から離れられなくなりました
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門川師範のお言葉の深さに、考えさせられます。
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