ファースト・プライオリティ

物事を成す時、ファースト・プライオリティは何かと先ず考える事が大切である。

昨日「本質を見失う」と言うタイトルで文章を書きましたが、「本質」を考える場合でも、ファースト・プライオリティが重要なキーワードとなります。

昨日の場合ですと、大切な命が犠牲になったのですから「二度と同じ轍は踏まない」と言う事がファースト・プライオリティであり、そこから「学校での教育環境改善」が先ず優先されると言う事が導かれるべきなのでしょう。

問題解決や、目標達成、何かを習う折等にこの事を先ず考えて進むべきです。それがその様な場合のファースト・プライオリティです。

スポーツを教育として行う場合、「優勝する事」が第一プライオリティになっていないでしょうか?

プロのスポーツ選手ではないのですから教育が第一プライオリティと成るはずです。合気道で「徒に競い合う事」を戒めているのは、教育ではないのですが、道を究める事が第一義とすればその様な意味合いからの諫めだと思います。

いくらファースト・プライオリティについて考えていても間違った選択をしているのなら意味がありません。真剣に本質を見抜く力がここでも大切です。

また、ファースト・プライオリティは固定的なものではなく、その時、その環境で変化していきます。確かにスポーツではある一面で勝つことが第一義になる場面もあると思いますが、教育としての側面からは全てがそれではないはずで、団体行動やフェアプレーの精神の養生がファースト・プライオリティである場面もあるはずです。今、何がファースト・プライオリティかと言う事は常に考える必要があるという事です。

合気道を研鑽する場合の大前提としての第一義は、単に技を習い覚える事ではなくやはり「正勝吾勝勝速日」の実践であり「天地神人和合」を目的とすることでしょう。

日々の技の鍛錬の中にその様な思いをこめて稽古に臨み、その日その時の稽古の第一義について考察してみる事は大事な修行です。

「他と徒に競い合う事」をせず、周りと和合していく道を歩き続けることが肝要であり、その様な道を歩む事を我が合気道「眞武館」の研鑽の道の第一義(ファースト・プライオリティ)とします。

 

 









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