約束稽古の意義

昨夜は合気道「至誠館」市役所道場での稽古日でした。残念ながら眞武館からの出稽古は、昨夜は私のみでした。

昨夜の稽古は横面打ちに対する技についてでしたが、一昨日と違い、稽古前に門川師範が守衛さんに問い合わせていただいたので空調が使えるようになっているとわざわざ地下一階のリハーサル室まで報告に来ていただけました。

おかげさまで一昨日の汗だらけの稽古と違い、非常に快適に稽古を行うことが出来ました。

さて、表題の約束稽古の意義ですが、約束稽古というのは受けの攻撃法、取りの技を約束された通りに行う型稽古の事である事はご承知置きの通りです。ここで大事なのは、攻撃方法を受けは限定されるのですが取りもそれに対する技を限定され、お互い規制のある中で型稽古をすると言うことです。

合気道は徒に競い合わないと言う事が本分であり、ぶつかり合わぬ事が「正勝吾勝勝速日」の大儀です。

それにもかかわらず両手持ちをすると取りがまったく動けないようにと両手で思いっきり腰をおとして受けを取り「どうだ、動いてみろ」と言うようなぶつかり合いの稽古がまかり通っております。そのような固い稽古も時には必要ですが、高段者に仕掛けるならともかくも、ビギナー同士でこのような稽古をしてもぶつかり合いの稽古や本来の体捌きからかけ離れた動作の稽古となり約束稽古の意義を果たせなくなります。

この例で言えば、何も両手で腰まで落として硬く手をとられたならば、その手を動かさずに一方の手で目潰ししたり、顔面やわき腹に当身を入れるなどの技を使えば実戦的な稽古となります。

合気道の約束稽古はそのようなものではなく、約束されたなかで決められた体捌きで決められた技をなぞり稽古することに意義があり、実戦的と称して意味も無くぶつかり合いの稽古をするものではないのです。

昨日の横面打ちの稽古でも、私のような有段者に対して隙無く一撃で相手を制するような横面打ちを入れてくるのは稽古にもなりありがたいことなのですが、これを初心者や下級者に行うようでは約束稽古の本旨に反します。

約束稽古による組稽古は、組んだ受けと取りとでよりよい稽古を作り上げなくてはなりません。その為にはお互いの技量を知り、下級者にはそれに見合った攻撃で受けをとり、上級者には挑む心も必要かもしれません。相手によって臨機応変の対応を取れるようになることも合気道の大切な修行です。対すれば即相手の技量がわかるようになる修行でもあります。

昨夜はそういう意味で少し厳しい指摘をさせていただきました。

非常に将来が楽しみな門下生であり、稽古熱心でもあるのですが、以前から高段者に対しては思いっきりぶつかってきていただけるので彼と稽古をするのは楽しく、自分の勉強にもなっていたのですが、それを許しすぎた、いや、求めすぎたのが悪かったのか、下級者にも強く当たるようにいつからかなっていたので昨夜はそれを指摘させていただきました。

彼にとっては普段、もっと強く打て、もっと強く抑えろと受けの際に要求している私が豹変したように思えたかもしれません。私の本旨は伝えた心算ですが、相手をよくみて、相手にあわせることが慣用であると言うことが伝えたかったことです。

本来の約束稽古の先に実戦的な技も見出せるはずです。なぞり稽古、型稽古の段階で実戦性を求める前に本来実戦的とは何かと言う事を考えなくてはなりません。合気道は実戦的で在る前にもっと大きな実践性を求めていると思います。それが「正勝吾勝勝速日」です。

戦うよりは相対して即和する心が大切です。誰とでも楽しく稽古を楽しめる合気道を求めたいものです。

(2012年の本日までの稽古時間/稽古日数=194時間/77日)









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