気くばりのすすめ

元NHKアナウンサーの鈴木健二氏のベストセラー「気くばりのすすめ」を記憶されておられる方も多いと思うが、本当に人生において気くばりほど大切な物は無いと思う。

若い頃はよっぽど出来た人物で無い限り、この気くばりがなかなか出来ない物の様である。

「気くばりのすすめ」、これは自分以外の他の人とかかわる場面全般に言えることであると思う。つまり、生きていく生活そのものが気くばりの連続なのである。

「そんなの疲れてしまう。」と思い勝ちであるが、習慣になれば合気道の稽古と同じくなんでもない事なのであろう。

その「なんでもない次元」にまで気くばりを日常化することがなかなか難しい。どうしても我の強さが「にょきにょき」と頭を擡げて自己主張が先行してしまう。

会社での仕事におけるチームワーク、道場での師範と門下生の関係、家族関係・・・・・
全てにおいて気くばりは人間関係の潤滑油であり、「愛」そのものなのだと思う。

合気道は「△○□」つまり「イクムスヒ、タマムスヒ、タマツメムスヒ」であり、眞武館流に言えばすなわち「気合わせ、気結び、気納め」である。

最初の「気合わ」せが「気くばり」に相当するのかもしれない。「愛情」をもって気を配り、相手の気を頂き合する。どうすれば相手と「合」することができるのか? 深く考えて行動するのが気くばりであり、単に相手にこびへつらう事ではない。自分の考えや行動を相手に理解して頂き、相手を導くにはぶつかるばかりが能ではなく納得するように導く事が肝要であり、相手の言い分もよく聞いて腹の中に一度落とし込む事が大事である。

「気くばり」は最初の「気合わせ」のみに留まる事無く、続く「気結び」「気納め」の各段階でも必要なものであり、「気結び」での「導き」や「気納め」での「残心」等、常に「気くばり」にかかわるキーワードがそこに既にあると思う。

これらの所作は「気くばり」そのものであり、また、「合気道」そのものだと思える。

今日は合気道の道場稽古の無い日であったが、自宅で合気抜刀術の稽古や愛刀の手入れをするばかりではなく、会社でも家庭でも「気くばり」を介した「合気道」の修行は可能である。

合気道は[愛」の武道であり、活人術である所以だと思う。

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