感謝(20140604)
5月30日23時58分に母が亡くなり、早や4日と数時間が経ちました。
5月1日(日)に通夜、2日(月)に葬儀を滞りなく済ませる事が出来ました。
家族葬とさせていただきましたが、にもかかわらず多くの皆様にご会葬いただきました。この場で改めてご会葬いただきました皆様や弔電を賜りました皆様にお礼申し上げます。
母は、私が休暇をとっての丸一日の介護の後、かわいがっておりました次男の結婚式が終わり、ハワイへの新婚旅行からの帰国を待っていたかのように次男帰国後になくなりました。
特に特別擁護老人ホームから危篤状態であるとは聞いておりませんでしたが、末期ケア開始を知らせていただいたケアマネージャーの方から連絡をいただいた時に、母に呼び寄せられるように只ならぬ予感を感じて30日(金)に休暇をとりました。
ただ、こんなに早く亡くなるとは思っても居りませんでした。ただただ、「今、介護しないと後悔する。」と誰かに背中を押されているような張り詰めた気持ちで母を訪ねました。
朝一番の面会でお聞きしていた以上にかなり母が弱っている事がわかり、夕方からの会議に出席する予定でしたが、急遽欠席の連絡を入れました。
午前中の見舞いでは、25日の日曜日の次男の結婚式の模様をiPhoneのビデオや写真で母に見せました。母はうれしそうに小さな画面を見入っていました。
そのような見舞いの甲斐があったのか、お昼前の水分補給時には120ccのポカリゼリーを摂取できました。最初、非常につらい嚥下不良での痰の吸引をされるのがいやなのか介護師さんが口に運ぶスプーンを硬く唇を閉ざして拒絶しておりましたが、私が、「水分摂らんと体力がなくなるから食べんとあかんで」と説得するとゆるりと唇の力を弱めてくれました。
それでもこわごわ少しずつしか口中に吸い込まないので「そんなに少しずつ口にためるから嚥下できなくなるんや、ズッと吸い込んで一気にゴクンと飲んでみ、なんとも無いから」
との言葉にすぐにズズーとすすって喉仏をごくりと動かしてくれました。
その調子で120ccを飲み干し、直後の血圧等の検査では、血圧90-110、脈拍67回/分、血中酸素飽和度97%と健常人並の数値となり、「息子の博文やで、分かっているなあ」との私の言葉に小さくうなずいてくれました。
お昼を食べに一旦帰宅してチャーハンを作って食べて、車購入資金を下ろしに銀行によって特別擁護老人ホームに戻りました。
ホームではノロウィルスやインフルエンザウィルスへの感染予防対策のため、入館時に手洗い消毒とうがい薬でのうがいをしなくてはなりません。
洗面台の前に二人の女性が私より先に到着して手洗いうがいを順番にされておられました。
手持ち無沙汰に順番を待っていると、いきなり一人の女性が「ひょっとして博文ちゃん?」といきなり声を掛けてまいられました。
十数年ぶりに会う亡き伯母の娘姉妹にあたる従姉妹のお姉さんたちでした。
母の具合が悪い事はまだ誰にも連絡しておりませんので「誰に聞いたの?」と質問すると、母の妹である叔母に従姉妹たちが連絡して叔母の見舞いに参ろうとしたところ、件の叔母から「私はいいから気になっているおねーちゃんを見舞って来て」と依頼されたそうです。
叔母と母は昔から霊感が鋭く、いろいろとエピソードがありましたが、今回も勘が働いたようです。
十数年前に亡くなった母の姉の娘たちである、かわいがっていた二人の姪っ子達の見舞いに、しゃべりは出来ませんが、「和子姉ちゃんと圭子姉ちゃんやで分かるか」との私の言葉や二人の思い出話に母は涙を流して「おおー、おおー」と言って本当に喜んでくれました。
従姉妹たちがベッドを離れる際に少し喉がぜろぜろとなって痰が絡んでいましたが、軽い症状でしたので従姉妹たちをJRまで送り届けました。
ホームに帰ってまいりますと多くの看護師と介護士の皆さんに母が囲まれておりました。私がベッドを離れている間に調子が良かったのでおやつの流動食をスプーンで少し与えたところ嚥下出来ず痰が絡んで苦しんだので吸引を済ませたところだとの事でした。
スプーンに半分も食べていないのにその量を超える多くの痰の吸引となり、まだ残っているがこれ以上は苦しむので出来ないとのことで、喉がゼロゼロ鳴る母を残して皆さん戻られました。
少し苦しそうにゼロゼロ言わせながら呼吸をしている母の胸を軽く手のひらでたたいて「不動明王の真言」や「光明真言」「ご宝号」「般若心経」を唱えて少しでも苦しみが軽くなるようにと願いをこめました。
少し願いが効いたのかゼロゼロといいながらも寝息を立てて眠ってしまいました。夕方まで母のそばにいましたが目を覚まさないので帰宅する事にしました。
帰宅すると家内が9時前に学校から帰り、翌日帰国と聞いていた次男がなぜか「今空港リムジンバスで茨木駅の手前まで帰ってきたので迎えにJR高槻駅まで来て」との連絡して参りました。
「和食のさと」で新婚の次男夫婦と夕食を食べ、帰宅したところに今度は長男から「帰りが遅くなってバスがなかなか来ない時間帯になったのでJR高槻まで迎えに来て家に送って」とまたもや連絡が入りました。
家内が迎えに参りましたところJR高槻駅で長男と一緒になった折にホームから電話が入り母の呼吸が止まってチアノーゼが出ているとのこと。
自宅に長男から電話が入り、神戸の妹に急遽連絡を入れて長男と家内の帰宅を待ってホームへ駆けつけましたがすでに母の顔はその日見ていたものとは異なり真っ白になっておりました。
手を握るとまだ暖かく、汗もかいておりました。そう、見舞いからの帰宅時におでこが熱く、重ねた手のひら同士が汗でびっしょりとなっていたので介護士さんに「熱があるようで、かなり汗をかいています。」と申し入れて布団に隙間を入れていただきアイスノンもしていただいておりました。
みるみる母の体温は奪われ数時間前に熱いと感じたおでこも冷たくなっていきました。
時間は10時半でした。ホームのかかりつけ医の方がご高齢ですでに就寝されたのか、ご自宅の電話にも出られないとの事で死亡宣告のためにお医者様を霊安室で待つ事になりました。
一時間半後にホームに着いた妹一家はまだ間に合うと思っていたようで号泣の嵐となりました。
結局翌朝の六時まで母と霊安室で二人っきりで過ごすことになりました。父のなくなった折も霊安室で父と過ごしましたが、父のときは数時間でしたがみるみる顔に黄疸がでて黄色くなりました。病気の影響だったのでしょうか?
母は、最期まで真っ白で顔の皺もほとんど無く亡くなったのがうそのようでした。
控えの和室で眠る家内以外に誰もいないはずのフロアで霊安室の前の廊下を何度も誰かが歩く音が聞こえます。あまりにも大きな音がするのでのぞいてみると介護士さんが真夜中や明け方に入居者の方々の汚れ物を超大型の業務用洗濯機で洗濯されておられる音でした。本当に介護士さんには頭が下がります。
朝六時にやっと、二度目に採った心電図の計測時間である30日23時58分を死亡時間とした死亡診断書を受け取り会員となっていたセレマの方が段取りを説明に参られました。
迎えの霊柩車で母が「終の棲家」と言って愛していた我が家の母の部屋に連れ帰りました。
二年前の脳幹梗塞以来自宅には帰っておりませんでした。それまでは私が土日に自家用車に乗せておんぶして用意した電動ベッドで寝起きしてもらっていました。今回は電動ベッドではなく自室の母の布団に寝てもらいました。ドライアイスで冷やされる母のおでこは霊安室の時以上にひんやりと冷たくなっておりました。
日曜が友引だったため、おかげで土曜日一日を自宅で過ごさせることができました。
妹夫婦一族がやってきてその後通夜、葬儀とあっという間に進行しました。父の墓のある三木市の金剛寺からもご住職にお出でいただきました。先代と同じく非常に穏やかで心優しい親切な方でした。
高槻市葬祭場で母の遺骨を受け取り初七日までを高槻セレマホールで済ませました。母が亡くなったごたごたの中で一日母を自宅に置けた土曜日に楽しみにしていた自動車をヤナセに受け取りに参れました。ユーポスで売ったMPVの代車を借りており、納車日が30日だったので合間を縫って資金を銀行から下ろし、納車説明も簡単に済ませていただきました。
ホームにいる母にも新しい車について話しており、元気が出たら一度乗せてあげたいと思っており、出来れば最後となる自宅から葬儀場への搬送はこの車でと考えたのですが、所詮無理なお話でした。
ただ、遺骨となった母を家内の胸に抱いて助手席に乗って葬儀場から自宅へは乗せる事が出来ました。
母にこんな車に乗れるようになったんやでと、新入社員時代におんぼろホンダライフに乗っていた事を嘆いてくれてパジェロ購入時には「良い車を買い」と援助もしてくれた母に最後の親孝行が出来ました。
母の援助なしに、逆に母や父から受けた援助を今度は子供たちや孫に出来る立場になったことを報告しながらの自宅への道のりとなりました。
今、母の部屋の父の閉ざされた仏壇の横に母の白木の祭壇があり、そこに飾られた母の写真がやさしく見つめてくれております。
亡き父、母の暖かいながきに亘る愛情に感謝し、とどまる事の無い尊敬の念の中で私自身の子供たちのそれぞれの世帯への想いを感じております。
霊感の強い母でした。次男の帰国や長男の連絡、母が呼び寄せたようで不思議です。従姉妹たちの十数年ぶりの見舞い、これも亡くなる数時間前の出来事です。通夜、葬儀と参列してくれた従姉妹達も驚いておりました。さすがに母です。
結婚式直前や当日に亡くなっていれば結婚式は中止です。迷惑を掛けない配慮と私からかわいい孫の結婚式のビデオや画像を確認してから旅立ちました。
生前お世話になりました皆様に感謝いたします。特に大勢お出でいただいた自治会の皆様、最期を看取っていただけたともしび苑の皆様、本当に良くして頂きました。
高槻病院、リハビリテーション病院、ケーアイ・センター、ともしび苑、緑ヶ丘病院と母のために心優しくいろいろとご尽力いただいた方々に本当に感謝します。
ありがとうございました。無事母を見送る事が出来ました。
また、門川師範、至誠館、眞武館の門下生の皆さん、お忙しい中をご列席ありがとうございました。
門川師範と六番弟子寺尾さんには代稽古をお願いし、お手数をおかけいたしました。ありがとうございました。
会社の関係者の方々も非常に大事な時期に仕事に穴を開けて本当に申し訳ありません。復帰の際にはこれまで以上にがんばりますのでよろしくお願い致します。また、葬儀に際しいろいろとお手を煩わせ本当にありがとうございました。
Tsutomu Kadokawa liked this on Facebook.
Atsuxi Ogino liked this on Facebook.
Yoshiko Okamoto liked this on Facebook.
Yumi Teraoka liked this on Facebook.
お母様のご冥福をお祈りいたします。
30日に終末期ケアと書かれていたので気にしておりましたが、その後ずいぶん早い別れでしたね。
私も数年前に母を亡くしました。お気持ちは痛いほどわかります。
精神的にも肉体的にも大変な時間を過ごされたと思いますので、くれぐれも無理をしないようにご自愛ください。
上田君、お言葉ありがとうございます。
後始末に追われて悲しい気持ちになるゆとりが無かったように思えます。これからしみじみと寂しさや悲しみを感じるのでしょう。
5月25日の次男の結婚式から母の葬儀、その間に車の納車、母の後始末と大変忙しい時を過ごしました。
喪中とはいえ、そろそろ悲しみを越えて普段の生活に戻らねばなりません。
ご心配いただいた皆さんありがとうございました。
Yoshinori Hayashi liked this on Facebook.
Take Uemura liked this on Facebook.
Otsunori Uehara liked this on Facebook.
Hajime Ono liked this on Facebook.
Nobuhiko Mochida liked this on Facebook.
Shinichi Toyoda liked this on Facebook.