若かりし頃の思い出(20130926)

最近はTwitterやFaceBook等の便利なソーシャルサイトのおかげで若かりし時代の旧友たちと再び交流を持つ機会を得られるようになりました。

高校時代の懐かしい旧友と昨日は思い出話をFaceBook上で交わしました。

現在は高校の英語教師で軽音楽部の顧問をされ多くの教え子たちと永きに亘る交流をつづけて、本当に良い人生を歩んでいるようです。

高校時代はフォークソング部で他の友人とコンビを組んでコンサートやラジオ番組にも出た事があるのですが、彼には高校の文化祭の舞台で友情出演でその私たちのコンビの応援を頂いたり、多くのロック系ミュージックやブルース系の教えを頂いたりと音楽関係を中心に青春を謳歌した親友の一人です。

彼とは色々なエピソードがあるのですが、たとえばイーグルス初来日コンサートに一緒に行ったり、ラグビー部で一緒に練習に励んだり、修学旅行での思い出も一番多い友です。

そんな彼と昨日交わしたのは私の趣味の一つでもあるバイクライディングのきっかけとなった時期のお話でした。

当時、彼が同級生から譲り受けたホンダ・ダックスは、私にとっても免許取得後初めて乗った原付バイクでした。

今思い出しても恥ずかしいのですが、バイクがどういう構造で、どのような原理で動くのかもかも分からないまま、人気の無い新興住宅の造成地でハンドルを握ってアクセルを吹かしたとたん、バイクだけが走り出して私はハンドルを握ったままその場に残され、バイクはすぐさまウィリー状態に・・・

ウィリー状態のダックスのハンドルを握り、アクセルを吹かしたまま必死に追走しました。ブレーキの存在も知らず、いったいどこまで走るのかと言う不安と共に道路脇の小さな側溝に転げ落ちました。

高校の仲間たちには大うけでした。

その後、友人とお金を出し合って中古のCB50を尼崎の中古車販売店に買いに行き、親に内緒で二人で共有していました。

近所で私がバイクに乗っている事がささやかれ始め、ドレスショップを母と営む父の耳にもお客様からその噂話が入ったようですが、「うちの子は黙ってそんなことはしない」と父は否定してくれたようです。近所に私に似た子がいたのでその子であろうと言っていたようです。

あまりにも申し訳なく、その正月の朝一番に父に事情を話して土下座して謝った事も懐かしい思い出で、その様なことを自分の息子たちがしないように、二人の息子たちには免許取得可能年齢になった時点で私から原付免許を取るように言って、私自身がバイクの乗り方を教えました。大型二輪免許も自動車免許とほぼ同時に取らせました。

わが身の教訓から、おぼれる危険があるからと水際に子供を近づけない事よりも泳ぎ方を教える方が大事だというのが我が家の家訓としております。ですから息子たちの高校のバイクの三無い運動には親自ら反抗した次第です。

先日記事にしましたように息子たちはバイクを降りましたが、それぞれバイクでの良い思い出が出来ました。

北海道からあまりの遠さに泣きながらもたった一人の単独走で下道を高槻まで二日で帰ってきた次男。大学のツーリングサークルの後輩になってくれました。

長男もウェディングケーキの飾りに自らのバイクのレプリカのチョコレートケーキを飾りつけ、式場に愛車を持ち込んで参列者にお披露目までしました。

良い親子関係を築く事が出来ました。

話を戻して、件の親友の彼とはその後、原付から当時は最も大排気量だった750CCまでの混成チームで国道2号線と171号線を北上して神戸から京都までを往復ツーリングしました。

当時は排気ガスが今よりもひどかったので片道だけで顔が排ガスで真っ黒になりました。今では考えられないことです。桂川の河川敷で顔を洗ったのを覚えています。

また、明石のたこフェリーをつかって淡路島一周ツーリングも彼と参りました。

途中マルコメ味噌に勤めるドイツ人と合流し、片言の英語で言葉を交わしながらテントでキャンプを張りましたが、私たちのテントのひとつを彼に提供したのですが、ものすごい鼾で隣のテントに眠る私たちは一睡も出来ませんでした。やっと寝付いた明け方、朝6時に起床すると彼は既に出発して跡形もありませんでした。

そういえばこの淡路島キャンプツーリングの時に地元の銭湯に行ったのですが、もう一人の同行した友人が今の私のように腕に蕁麻疹が出ていて、医者から入浴時に石鹸やタオルでこすらないように言われていると言っていたのを今思い出しました。

先の親友の彼とのバイクの思い出は、家内とのデートにもつながりがあり、とある日、大学受験浪人中の私と彼は予備校の講義に飽きてしまって、途中からサボってバイクで六甲山へ向かって飛び出しました。

高校自体が表六甲の入り口にあったので、放課後や休日に良く友人たちと表六甲や裏六甲でバイクライディングの腕を磨きあったのですが、このときは六甲牧場に参りました。

牧場で絞ったばかりの牛乳を飲んでいて、ふと、その日のお昼前に当時彼女であった家内と三ノ宮駅で待ち合わせしていたのを思い出しました。

慌てて六甲山を下って三ノ宮に駆けつけたのですが、阪神三ノ宮駅前の地下道で何人かの男に声を掛けられながらも3時間も私を待っていてくれました。

彼女の回りには声を掛けに来た男たちが捨てたタバコの吸殻が、彼女を中心に円弧を描く様に捨てられていました。私が着いた時にも声を掛けられており、彼女の肩を軽く叩きながら、安心して涙ぐむ彼女の顔を横目に見知らぬ男にガンを飛ばしたのを覚えています。

この様な懐かしい思い出話をFaceBookで昨日交わしました。

その後、彼との思い出が次から次へと・・・・良い思い出もあれば今では冷や汗をかく様な恥ずかしい思い出もたくさんありました。時代は進んで進歩と共に非常に便利な世の中になりました。

今思っても、中学から大学は本当に青春時代という言葉が似つかわしいと思います。ただ、趣味のバイクや合気道、そしてコンピュータの世界で仕事をさせていただいている現在も青春の真っ只中と言う気持ちが満ち満ちています。

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