高槻市民公開合気道教室(芝生)

本日は高槻市合気道連盟主催の芝生体育館での市民公開合気道教室の日でした。

昨日の金曜日の合気道至誠館市役所道場での稽古は、眞武館からも久しぶりに体調復帰した七番弟子T尾さんや十番弟子M岡君も参加してくれ、金曜日としては驚くほどの人数での稽古となったが、本日は眞武館からの参加者はいなかった。

合気杖の教室をやめてから初めてバイクで芝生体育館に来たが、杖を担ぐ必要が無くなり、ライディングも非常に楽になった。何年かぶりに杖無しでの教室ライディングだ。

杖と言えば、そもそも合気杖教室は関大合気道サークルの当時の二年生が10月の演武会に杖の演武を行いたいと二月ほど前に教えを請うて来たので、「演武と言うのは日ごろの稽古の成果を見せるところで、やってもいないものを形だけ真似てカッコ付だけで行うものではない」と話したところ、「では、来年は演武でやりたいので稽古をつけて欲しい」と請われて始めたものであった。

その後、毎年杖の演武を行われる門下生が出ているが、今年も演目にしようとしている門下生が複数いるようである。そもそも毎回の稽古参加が少なく、来られても途中参加で短時間であったりすることから教室を止めたのである。合気杖を教え始めた最初のいきさつは何度か話しているので、何故始め、何故辞めたのかを理解頂き、演目としてやるのであれば、きっちりと合気杖の教室で習った成果を出して欲しいものである。形だけ真似て行うのであればこの数年間の意味が無く、残念で仕方が無い。是非お教えしたことの真ん中を思い起こして演武に臨んで戴きたい。

恩には着せたくは無いが、無報酬でありながら、毎回誰よりも早く欠かさず杖教室に参加し、雨の日は杖があるので駐車代を掛けて車で参加し、毎回道場の準備を殆ど一人で行ってきた。10時近くからの駐車だと駐車代も200円も安く付くことも今回はじめて知った。体協の理事時代に駐車場料金の改定を行った成果であるが、今までその恩恵に自らは浴していなっかったわけである。

人それぞれ事情もあり全参加したり毎回一番に道場に出向くのは無理であろうし、私の大学の恩師も授業に遅刻してもそれぞれ事情があると一切不問に付されていたので私も文句も言わずに来たが、ただ、杖教室の最後の方は少しおかしいと感じていた。不参加であれば連絡をするなり、いつも遅れてもたまには早く来て準備を手伝う心積もりも武道を習う中では大切な修行の一つではなかろうか。大学の恩師も、「遅れるのは都合があるので仕方が無いが、それで評価が落ちてもそれは自己責任である。」と遅れても叱りはされなかったが、評価は評価とされていた。また、途中参加でまじめに授業を受けられている者の邪魔になることは決して許されなかった。遅刻の理由を不問に付されたのもそのような言い訳を聞いている時間はまじめに授業を受けておられる方々の無駄な時間になるからであった。

この様なことを問題にする自分自身の心が狭いと反省するばかりだが、やはり、合気杖教室を始めるきっかけとなった言葉のように「形だけかっこつけるものではない」と今も信じている。

それぞれの事情がある中であっても、教えて頂く事への感謝や長幼の序を心得、礼を重んじると言う事も合気道修行の大切な一つであると信じて疑わない。出来ないことは出来ないで仕方が無いが、遅れて当然と言うような態度は許されるべきではない。道場に入るときに深々と礼をして指導者には手空き時間にでも謝意を表する礼はあって当然かと思う。

また、話は変わるが、最近稽古で上達する事より昇段昇級にのみ汲々としている姿も見苦しいと思えることがあった。昇段昇級を早くしたいのであれば稽古をすることである。

形だけ黒帯を締めても仕方が無い。形だけの演武、形だけの黒帯、これほど世の中でみっともないものは無いと思うのであるが、いかがだろうか。

頑張った後についてくるもの、頑張った証が昇段昇級や演武であり、その評価が悪くても、頑張った結果なら仕方が無いと思われるがそうでないのであれば恥ずべきである。

下手でも良いので自分が頑張った証を昇段昇級審査や演武で見せて頂きたいと思う。これまで一生懸命してきた方が安易に昇級昇段の誘惑に乗ることは、それまでの自分の頑張りを否定することでもあると思う。最後までがんばった成果で勝負して頂きたいと心よりおもう。

今、そういう意味でそのような事がきちんと出来ていると最も感じさせられるのは至誠館で一番若い高校生K藤君と眞武館最年長のTJさんである。奇しくも最年少と最年長の方である。

お二人は、毎回でなくとも出来うる限り早く道場に来てマットや畳敷きの手伝いを行われる。遅れてこられたときには礼をつくして謝られる。日ごろの稽古に対する真摯な態度にも好感が持てる。ほかにも、お仕事のご都合で遅れてこられることが多くても、皆勤賞の二番弟子S木さんにも頭が下がる。その熱心さが伝わってくる。まだまだ技は未熟であっても武道家、つまり武道の修行者だと私は思っている。この様な方々に上手になっていただきたい。

自分自身はこの様な心の修行も今後も続けて参りたいと思うと共に、是非眞武館門下生にも理解頂き、合気道を離れた場でも「剣化剣光」を放つ武道家であって戴きたい。形の指導は簡単であるが、心の指導は本当に難しいと思う今日この頃である。

(2011年の本日までの稽古時間/稽古日数=279時間/135日)









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