命日(20160824)

昨夜は、父の命日でした。28年前の昨日に亡くなりました。私が30歳の時です。その前年に発病して、半年入院し、10時間に及ぶ手術をして一年弱の命でした。

今年、その発病の年齢に私自身が達しております。あと一年で父が亡くなった年齢です。

その思いを噛み締めて昨日の父の命日を迎えました。

あの頃の父は私にとって偉大な存在でした。14歳で海軍特別年少兵として出兵し、私の大学時代の恩師、故小谷豪次郎先生が京都大学から学徒出陣で出兵してから学んだ海軍経理学校品川分校に14歳で席を並べていた父です。結婚式の媒酌人のお願いに先生のお宅を父母とお尋ねしたときに、そうと知った父がいきなり直立敬礼したのを今も忘れられません。

16歳で主計上等兵として、年長の方々の上に立って呉に赴任し、原爆投下の時はカッター訓練で島陰にいたため直撃を免れましたが、被弾直後の市内に救援に入ったようです。ひょっとすると私は被爆二世かも知れません。父もがんで亡くなっております。

海軍特別年少兵は映画になり、父と共に観劇に参った時には涙してみていた父。神奈川の武山海兵団から呉に赴く際の記念写真にしたためた万年筆による一文はものすごくきれいな達筆で、とても16歳の少年の文字とは思えませんでした。

その達筆な父が病に倒れて、右手にマヒが出たときに「博文、筆が持てん・・・」と涙した父。よほど悔しかったのか、麻痺をしていく身体から復帰しようと昼夜を問わず、リハビリのために家の中を歩き回っていた父。

死ぬのを予期して私を連れ出し、神社の境内で「遺影になるから大きく撮っといて」と微笑みながら病でやせた身体でポーズをとった父。

私の最初の家の庭木の樫の木を根が張るからと忙しい中をお店の休日にわざわざ神戸から来て、太い幹をのこぎりで切り倒していったのも父でした。

色々な思い出が目まぐるしく思い出されます。

母も3年前に旅立ちました。

両親の冥福をおいのりしたいと思います。

「孝行したいときは父母は無し。」本当にそうだと悔やまれます。

合掌 (-人-)

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