八百万の神々と靖国参拝(20131229)

後数日で除夜の鐘がなり、初詣の正月となります。

日本の神道は宗教と言うより日本人の心のよりどころであり精神文化だと思います。

日本では一神でも多神でもなく、八百万の神々をお祀りいたします。

これは神々といっても宗教で言うところの神とは少し趣が異なると思います。

ほとんどの宗教では神は善良なものとされますが、日本の神々は善良な神もあれば怒れる神、荒らしい天災を取り仕切る神などもおられ、これらの神々の怒りに触れない様に善行を行ったり、お社を建ててお祀りいたしたりしております。

歴史的に権力を得てヒーローとなった神も居られれば権力闘争に敗れて刑に処せられた神も古くから奉られており、すべての先祖や自然界の万物をも奉りお祀りすると言うことが八百万の神々をお祀りするということです。戦犯の方々をお祀りするような事は今に始まったことではありません。平将門、酒天童子・・・・その他、妖怪や鬼自体をもお祀りしたりと例に事欠きません。最近では「トイレの神様」と言うような神までもが有名となりました。

わが国の首相がこれら八百万の神々を祀った靖国神社参拝が国際的に問題になっているとの事。

「靖国」という社号自体も明治天皇のご命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いがこもったものであり、首相の参拝の趣旨といささかも違いがないものであり、今回とってつけたような参拝理由ではない事が分かります。

総理はこの様に「不戦の誓い」をもって参拝されたと仰っておられ、全く不思議な行為でもなく、また、言われなき批判を受ける行為でもないと思います。

なぜなら先に書いたように、そもそも万物すべてに敬愛の念と畏敬の念を持ってお祀りし、自分たちを戒めてこれら万物、八百万の神々に心静かに天界にておわせませりと願う行為が神社参拝だからです。

また神社参拝は神にお願いするものではなく、感謝の意をあらわして自己の目標や誓いを神々に宣言する行いであるべきです。

神社にお参りする際に神社に入ったら、まず御手洗(みたらし)で手や口を漱ぎ禊(穢れた身を削ぐ意)を行います。まず自らの身を清めて新鮮な魂で感謝と誓いを立てる儀式です。

首相には日本文化について、善悪や混濁をあわせ飲むすばらしい文化であると説明されいろいろな誤解を解いていただきたい。他の国々のかたがたとお祀りするという事自体の解釈が全く異なっており、悪しき道にまい進する為に行う行為ではなく、今回の首相のように自戒の念から不戦の誓いをする祈りの文化なのであるということが理解していただければ日本文化の奥深さに敬愛も抱いていただけるのではないかと思います。

「罰が当たるよ」「祟られるよ」と言うような言葉は欧米では悪魔の所業であり神の所業と言う解釈は全くないわけではないのでしょうが多くはそのように解釈はされていないのでしょう。

わが日本においては怒れる神を沈めることも大切な神道行事であり、このような神を沈める事が日本人の正しい行動規範を生み、合気道で言う「至誠」の人を生むのだと思います。

もうひとつ今回の騒動で理解できないのは「不戦の誓い」を行った我が国首相の行為を批判するのに事欠いて「開戦準備をすべき」とか「すでに宣戦布告だ」と言ういわれのない批判を行う近隣のお国の政治家の皆さんの神経や思考回路のショートの仕方が理解できません。あまりにも下品で容認のできない行為ですが、これに同様に下品な姿勢で相対しては日ノ本の国の名を辱めます。

かの国の批判は今流行の「モンスター・クレーマー」としか思えません。

この様な批判の仕方こそが自ら我が国日本と「戦争を起こしたい、戦いたい」と宣言している事である事をなぜ理解できないのでしょうか?

どう考えても理屈があわず難癖にしか取れないと思うのですが、我が国のマスメディアや多くの方がこの点の矛盾になぜ気づかないのでしょうか?なぜ、同様の批判を行うのでしょうか?

ぜひ、日本の国の精神文化について諸外国の方々にPRする術としての機能をマスメディアのかたがたには担っていただきたいと希望します。

日本国家の根本に流れる文化、いや日本国民の精神文化自体をいわれなき批判でけなされているのです。我が国民は今こそ上品に品格を持って丁寧に自国について説明して世界の方々に理解いただく努力をすべきです。首相が仰る説明や理解を求めるという行為はそうであっていただきたいと希望するとともにそうであるに違いないと信じたいと思います。

直ぐに頭を垂れて恭順するのは簡単ですが、困難な道にあえて挑む気概を今こそ政府や日本のマスメディアの方々にはお持ちいただきたいと思います。

年末年始、神道にかかわる行事も多くあり、国民の多くが参加されることでしょう。この機会に我が国の文化、特に精神文化について誇りを持って考えてみていただきたいと思います。まずは神社参拝とはどういうことなのか、参拝の正式なしきたりや礼法といった文化そのものを調べてみるのもよい事だと思います。きっと誇るべき精神文化である事をご理解いただけると思います。

我が国は無宗教な人が多いといわれますが、宗教ではなくその精神文化にすでに非常に高次元な宗教的な癒しや戒めの要素が備わっているのですから特定の宗教に拘る必要もなく、それぞれの宗教をけなす必要もない、全てにオープンな広い心の日本独特の精神文化なのです。

以前に「恥の文化への誇り」について「信念」のページに記載しましたが、誰に対して恥とするのか、世間の人々であり、八百万の神々に対して恥ずかしくないのかと自己の行動を省みる事が「恥の文化」の根源であり、持ち続けたい精神文化だと思います。

真の国際人とは自国を理解し愛するもののみが同じく他国を理解し愛する心を持てると我が母校である京都産業大学の故荒木総長からお教えいただきました。

自国を愛し、その心で他国の愛国心も理解して相互の文化を尊重しあう美しい世界にする事こそが日本の精神文化の根本精神でありたいと思います。

合気道では「天の浮き橋に立て」との開祖のお教えがこれらの事だと考えて来年も合気道に勤しみたいと思います。

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