行って来ました香港

香港合宿遠征記04

1996年4月

第4章交友編
enkai01.jpg 200×136 (15KB)  初日の九龍公園での稽古の後、歓迎会を催していただけるとの事で、準備ができるまでの時間をテッドに香港市内を案内していただく事になりました。

 まず白人系の香港人のたまり場のような蒸気機関車の模型が天井を走るショットバーにつれていっていただき、青島ビールで少しアルコールに酔いしれ、その後テッドに香港中央銀行やビクトリアピークの麓の公園等を案内していただいたのですが、公園では、既に閉門時間だったのを管理人にかけあって入れていただき、展望台から香港の夜景を楽しみました。残念ながらビクトリアピークの頂上へは行けませんでしたが、ケーブルカーの駅前を横切り、歓迎会の会場近付くでは「道場の無かった時にはコッティア先生と2人で、このビルの中庭の石畳の上でデモンストレーションを行ったんだよ」と懐かしい話しまでも聞かせていただきました。

enkai02.jpg 200×137 (23KB)  香港についた時からずっと疑問に思っていた事が有るのですが、繁華街の怪しい雑居ビルの所に何やら怪しい看板があるのです。その漢字の看板をそのま解釈すると裸の上下が可で、しかもアルファベットでOKとなっています。はでな看板で、なんだろうかと思っていたのですがテッドはその看板のある雑居ビルの狭い階段を登っていくでは有りませんか。「おいおい」と思っていると、上からドレスを着たどう見ても少女がおりて来ます。

「や、やばい」とか思っていますと「ここです。」との事。おそるおそる入ってみると、なっなんと・・・ただの中華レストランで、先ほどの少女は、親子連れのお洒落をしたお嬢さんでした。冷や汗を拭いながら聞いてみるとくだんの看板は、「カラオケ」と書いてあるとの事。知らないって言う事は恐ろしいものです。たしかに、現地のコンビニでかった「かっぱえびせん」のカルビーの商標の「か」の字と同じ漢字でしたし、OKは「オーケイ」と読みます。(^^)

enkai03.jpg 200×135 (11KB)  歓迎会は、日本人観光客が一人も居ない地元中華飯店で盛大に行われました。非常に多くの参加者で、当日入会したばかりの方々までおいででした。ほぼ中華レストランを貸し切ったような状態での歓迎会で、香港合気会の設立25周年の記念ペナントや香港合気会の素晴らしいキーホルダーを記念にいただき、本当に親切にしていただきました。

 宴もたけなわになって来た時、門川先生が持参された写真にも写っていた凄い中国美人が私のすぐ隣に来てメモをそれとなく渡して来ました。見てみると名前と住所が書いてあります。「うわー 誘惑されるのか」とあらぬ妄想を描いていると、にっこり笑いながら「私は事務局をしていますので、今日撮られた写真を是非この住所にお送りください。」とのこと。唯一英語を喋る私に目をつけて依頼して来たのでした。急に力が抜けてしまいました・・・その後谷口先生が「江見さん何もろたんですか。」という問いかけに答える気力も有りませんでした。

(この中国朝粥のお店は1999年に会社の出張で香港に参りました時に、私の会社の香港子会社から昼食にいった先がこのお店で、会社のすぐ隣のビルであった事に驚かされました。時間が有れば探しに行こうなどと考えて持ち帰った箸袋まで持参したのですが、どうも来た事の有る店のような気がしてテーブルにおいてある箸袋を見て驚いてしまいました。)

enkai04.jpg 200×133 (11KB)  飲茶パーティーの後は、テッドのジョウダンにある自宅を訪ねる事になりました。何度もテッドが片言の日本語で言う「私の家は、上段、中段、下段の、上段です。」というだじゃれにつきあいながら、36階建ての高層マンションに辿り着きました。

 香港のマンションは防犯上の問題から玄関ドアに鉄格子がついており、少々驚きながら部屋にとおされました。ここで、奥様であるレジーナ(香港大学の助教授)の中国製パソコンとテッドのIBMのパソコンを見せていただきました。何と中国語のWindows95と中国漢字のキーボードを初めて目にし感激致しました。

 門川先生は、膝のお悪いコッティア先生に長時間のマッサージを施され、コッティア先生は非常に感激されておられました。また、ご出身のイギリスで合氣道を普及するために合気会から千葉師範が来れれた当時のお話をお聞きしました。その中には、門川先生が伝説として聞いておられたものも有り、伝説の登場人物がコッティア先生であったと知り感激されておられました。

enkai05.jpg 200×135 (13KB)  その話とは、コッティア先生が初段だった頃のとある日、同輩の一人が千葉師範に「真剣で攻撃されても先生は大丈夫ですか?」と尋ねたところ「無論だ」と答えられ、「では、今日日本刀の真剣をロッカーに持参しておりますのでコッティアを相手に見せて下さい。」と言ったそうです。

R>  コッティア先生は寝耳に水の状態でしたが請われるままに真剣を手に師範の前に立たれたのですが震えが来て打ち込めずにおられたそうです。師範の「早く打ち込まんか。」の一括で打ち込もうと刀を振りかぶったのですが、勢いあまって後ろの畳に刀が突き刺さって抜けなくなったそうです。その後、何人かの真剣を相手にされたそうですが、すべて手のひらで刀身の横をはじかれて投げ飛ばされたそうです。稽古が終わった時に誰も気がつかなかったのですが窓から見ていた少年が、師範の手のひらから血が流れているのに気付いたそうです。手のひらの薄皮一枚で刀の攻撃をかわされていたのです。

 また、ある日コッティア先生が稽古中に目の上を深く斬られ、病院へ運ぼうと言う話になったのですが、千葉師範が病院なんか行かなくても俺がなおしてやると仰り、熱湯とタオルと卵を用意しろと言われたそうです。「なんで怪我しているのに卵を食べるんだろう」と不思議に思っていますと、熱湯に浸したあつい蒸しタオルで消毒をし、傷口を卵のからの内側の薄膜で塞がれたそうです。いく針も縫わないといけないような大きな傷口なのにと不審に思っていると「毎日朝夕に今のようなあつい蒸しタオルで消毒しろ」とのこと。言われた通りにしているといつの間にか傷は塞がったそうで、実際、話の後で見せていただくと縫った後も無くきれいな傷跡でした。

enkai06.jpg 200×136 (12KB)  テッドに私だけが呼ばれて彼の部屋に行き先ほどのパソコンや私が彼宛に日本から送ったFaxを見せてもらっていました、その中に彼の出身のニューメキシコ州に有るサウスウエスタン合気会のカレンダーが有りました。これを私にくださると言うのです。

「テッドの大切な思い出の品をいただくわけには行かないよ」と丁重にお断りを申し上げると、「いいんだ、今日からはMr.江見の香港での思い出にしてくれ」と言うのです。なんだか映画の一シーンの様だなと感激してしまいました。このカレンダーは、いまも大切に持っています。

 この後、日本にお土産をもってかえりたいので、お店を紹介してほしいと言う我々の要望に明日空港に行くまでに案内しようと約束して別れました。

enkai07.jpg 200×137 (13KB)  名前は失念致しましたが、中国系の百貨店に案内されました。この百貨店は中国系香港人の御用達のお店と言う事で、中国らしい雑貨が非常に低価格で売られており、日本人相手の土産物店では考えられないような低コストで素晴らしいお土産をそろえる事が出来ました。膝がお悪いのに買い物におつきあいいただいたり、会社を休まれたコッティア先生やテッドとレジーナには感謝の言葉もありません。

 このようにして我々の香港遠征は幕を閉じました。その後香港の中国返還に伴い、コッティア先生とテッド/レジーナは、それぞれご出身のイギリスとアメリカに戻られました。現在は、連絡がとれない状態で非常に寂しい思いを致しております。これを読まれた方で連絡先をご存知の方はご連絡をいただければ幸いです。

香港の皆さんありがとうございました。
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